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1.17~20年 阪神淡路大震災
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    JUGEMテーマ:人生論
    1.17~20年 阪神淡路大震災 合掌 祈り  私は今住んでいるマンションで 被災しました。 その日は近所の避難所に行き コープの前の公衆電話に長い列を作って 10円玉を入れて 松山の実家へ電話しました 40円しかない私は 父の声を聞いて 「私は生きているから大丈夫!」 とだけ言って 電話は切れました。 その後 仕事に行こうと思って 定期はあるし・・・JR 六甲道に行こうと すると 避難所の人が 六甲道は 落ちて 電車は動いてないよ。と おっしゃったので 避難所で 炊き出しのお手伝いを始めました。 仕事場には 連絡ができずに 3日目に自宅に帰って 片付けていると 瓦礫の中から電話のベルがなり 受話器をとってみると NYのKさんから NYのみんなが心配している と ・・・ まだ TVを見ていなかったので 周りが どんなにひどいことになっているのか? わからない私でした。 昼から 彼は 自宅のおばあちゃんや妹が心配で お家に帰りました。 親戚のバイクを借りて 帰りました。 次の日仕事に行って おにぎりやお茶を持って来てくれました。毎日食べ物を持って 届けてくれました。 私は 小学校がどこにあるのかも知らなかったので 近くの会館に避難しました。 宮前市場が ずっと 燃えていたので 近くには近寄らないで ずっと 避難所で 食事を作ったり 洗いものをしたり トイレの掃除をしたり 自分ができることをお手伝いしていました。 妹の会社の人は 毎日ぺットボトル(水)2本を マンションンの玄関に置いて行ってくれました。 4日目に会社に連絡がとれて 雨が降るから 土砂崩れがあるので 今から 大阪に歩いて来なさい!と言われたので 「私はここで死んでもいいです。ここから離れません」と返事しました。 「みんなはどうしていますか?」「実家のある人は実家に帰りましたよ。2月1日に大阪のお店に 10時に来て下さい。 来なかったら 辞めてもらいます。 寮を用意しましょうか?」「はい 寮をお願いします。 では 実家に帰ります」と 返事しました。 私の気持ちとしては 避難所に残って お手伝いをしようと思っていたのですが、 避難所は 本当にお家の無い人がいる所で 実家があるのだったら 出て言ってくれたほうが 嬉しいと 避難所の上の方から聞きました。 明日から 市のほうから お弁当を持ってきてもらえるように 手続きをしてきたので 炊き出しは 今日で終了します。と・・・ 私が避難所にいて お弁当を一つ頂くのを他の人に回してあげられるのだったら 避難所から 出るほうが いいのかな?と 思って 私は実家に帰りました。 伊丹空港まで 近所の方にバイクで乗せてもらって もしも 伊丹空港まで たどり着かなかったらと コートのポケットにおにぎりを入れていきました。 無事 伊丹空港へ着きました。 そこまでに行く間に高速道路が落ちていたり 瓦礫になっているお家の横を通り マンションの階段が外れているのを見たり とても 衝撃的でした。 伊丹空港に行くと 何事も無かったかのように 周りの人は 普通だった! 私は煤のにおいのするコートに真っ黒の顔でスキーウエアを着ていたので トイレで 顔を洗い スキーウエアーを脱いで 手に持ち 飛行機に乗り込みました。 松山では 家族や 友人が 食事に連れて行ってくれたりしました。 TVでは、毎日神戸のことが放送されて それに釘付けでした。 1月30日に飛行機で関空に着きました。 飛行機の中から 海の中に茶色の帯がずっと続いているのを見ました。 やはり 海の中もかなり地震で崩れているのだろうなぁ〜と思いました。 堺の知り合いのお家で泊めて貰って 次の日に大阪のお店に出勤しました。 大阪は何も無かったように キラキラといつものように 時間が過ぎているという感じでした。 私は会社の高槻寮に1ヶ月間お世話になりました。毎日 違うお店に働かせてもらって 今日は京都 今日は大阪 今日は天王寺などと 毎日自分の仕事道具を持って 制服を着たまま コートを羽織って 仕事場に行かせてもらいました。 みんな 優しい先輩ばかりで 愉しくお仕事をさせて頂きました。 自分が元気で どこのお店でもお仕事をさせてもらえることに感謝! 寮でも 独りのお部屋で1ヶ月間ポータブルのTVを見ながら 神戸のニュースを探していました。 2連休にしてもらって 神戸に帰ってきて お家を片付けて 夜は友人宅に泊めてもらって お話をしました。 代替バスで 乗り換えて 高槻寮まで帰って仕事を続けました。 3月1日にホテルオークラのお店に帰れて とても嬉しかったのですが、 お客様方も まだ 神戸には帰れていないので ずっと暇な時間があり 婚礼も無く 大変でした。 でも 大きなブライダルの会場もオープンしていないので 海外の方の大きな結婚式を担当させていただいたり、 ビップの人たちのヘアを担当させていただいたり 愉しい事も体験させていただきました。 毎日は シフトで スケジュール表に斜線を入れられるので その時間に 花嫁さんのレッスンや コンテストのレッスンなどをする 時間ができて 自分の技術向上に役に立ちました。 自分が何をすればいいのか? 今 おかれた立場で 何が大切か?を考えて レッスンしたり、前向きに何がいいのか?できることがしあわせなのかも? 元気で生かされた 私の命は 精一杯 楽しいことをしながら 笑顔で過ごせることが私の幸せかもと 思います。 たくさんの皆様に助けられて 生かされている私 この20年は とても 早く過ぎたような気がします。 これから20年 また 新たな目標を見つけて 歩みだしたいなぁ〜  *考えていること  愛媛県人会 松山会 東雲会 美容の友人たち 着物 「キモノde モード」の作品制作など  Mさん家族と遊べますように・・・  自分の周りの人たちを笑顔で楽しく元気で過ごせますように  まず 楽しいことをしよう!が今年の目標かな!美智子❤2015年1月18日
    posted by: ヘアメイク アトリエパルファン 美容室 | 地震 | 16:21 | comments(0) | trackbacks(0) | - |









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